1. HOME
  2. ライブラリ
  3. 定年制度の変化により、日本の「定年」イメージが変わる!
仕事 生活
2018年07月01日

定年制度の変化により、日本の「定年」イメージが変わる!

定年制度の変化により、日本の「定年」イメージが変わる! 2018.07.01定年後入門


[top_taglist]

 「定年」という言葉の響きは、どことなく昭和的でノスタルジックです。家族の生活を支えるため、雨の日も風の日も満員電車で通勤を続けたお父さんがその任を解かれ、穏やかな老後の日々へと入っていく節目。その言葉を聞くとき、お父さんの哀愁に満ちた後ろ姿の映像とともに、昭和という時代への懐旧の情が胸にこみあげてきます(個人の感想です)。

 しかし、少子高齢化の進展によって、国全体が岐路に立たされている今、「定年制」と「定年後」をめぐる諸状況は、大きく変わりつつあります。ここでは、その歴史と現状を概観しつつ、予測される日本社会の変化で「定年制」「定年後」がどこに向かっていくのかを検討します。

定年制の歴史をおさらい

 そもそも制度としての「定年」には、どのような由来があるのでしょうか。ある事象の未来を予測するには、その「発生の本質」を理解している必要があります。駆け足になりますが、ざっとその歴史をおさらいしましょう。

 日本における定年制の始まりは明治時代。1887年に海軍火薬製造所が職工の退職年齢を55歳と定めたことに始まりとされています。当時の平均寿命を考慮するとかなりの高齢であり、身体的な限界の目安を示したものと考えられますが、さほど厳密なものではなく、能力さえあれば延長可というふうにも書かれています。

 普及期に入ったのは、昭和の初期。第一次大戦の恩恵による好況期(大正バブル)に大量採用した人材が昭和恐慌によって余剰人員化し、これを自動削減するメカニズムとして、大企業を中心に急速に普及していったのです。55歳定年制が一般的で、これはその後、高度経済成長期まで引き継がれることとなります(参考:武田春人『仕事と日本人』、ちくま新書、2008年)。

 これに変化が生じたのは、1980年代以降です。少子高齢化社会への移行は不可避との判断から、政府は86年に60歳定年の努力義務化を打ち出します。そして94年に60歳未満の定年制の禁止を法制化(98年から施行)したことにより、60歳定年制への移行が完了しました。

 しかし、それで終わった訳ではなかったのです。息つくヒマもなく、政府は定年の引き上げを企業に求めることとなります。2000年に65歳までの雇用確保措置が努力目標化されたのを皮切りに、雇用延長を促す法律が、それ以降も矢継ぎ早に制定されていったのです。

いずれは「定年撤廃」が現実化?

 現在、日本の少子高齢化には、まったく歯止めがかかっていません。それどころか、出生率にさしたる改善がない中、医療技術の進歩によってさらに長寿化は進んでおり、むしろますます拍車がかかっています。

 そうした状況下にあって、年金制度の維持のため、この先も政府が「定年引き上げ策」を打ち出し続けるであろうことは、もはや確実なことといってよいでしょう。

 おそらく政府の視線は65歳定年どころか、さらにその先の70歳あるいは75歳、あるいは「定年撤廃」というところまで向けられているかも知れません。欧米諸国では、年齢を理由とした就職差別は原則として禁止されるようになってきており、当然ながら定年という考え方もなくなっています。こうした世界的な「ダイバーシティ推進の流れ」も一方にあるため、「定年撤廃」はかなり現実感のある話なのです。

定年のない時代・・・。昭和の記憶が遠のくとともに、その時代は着実に近づいていると考えてよいでしょう。

「定年撤廃」により個人の能力判定がシビアに!?

 こうした動きは、何となく働く人にとってやさしい話のように聞こえますが、現実にはたぶんそうはなりません。人によって、影響は大きく異なるものになると予測されます。

 明治の職工さんの場合がそうだったように、企業にしてみれば、高い成果を生んでくれる人は別に何歳まで企業に残ってくれても構いません。企業は、本来的には合理性を旨とする営利組織なのだから当然のことです。本人がそれを望むならば、健全なWin-Winの関係がそこに成立するだけのことです。

 しかし、それはハイ・パフォーマーの場合。多くの「さほどでない人々」にとっては、あまり未来は明るくありません。その歴史から分かるように、定年制は「余剰人員の自動削減メカニズム」という機能を持っており、これを失うことは企業サイドにとって、経営上の大きなデメリットとなります。必然的に企業としては年齢以外のもの、端的にいえば実績や能力をもって人を削減するメカニズムをさらに強化せざるを得なくなるはず。「さほどでもない人々」は、そのメカニズムによって選別されることになっていくのです。もしかすると、現在の定年よりもかなり早い時期に、泣く泣く会社を辞めることになる可能性も考えられるのです。

「定年」から「自分で決める引退」へのシフト

 基本的に人が「仕事を引退する」のは、本人の自発的な意思によります。アメリカなど、定年制がない国では当然ですが、日本だってその例外ではありません。嫌がる者を無理やり引退させる法律がある訳でもないし、実際80歳を超えて働いているシニアも、山のようにいます。勤労は義務でもあれば権利でもあるのだから当たり前のことです。

 ただ、定年制が終身雇用とパッケージになっていた日本においては、この認識が育ちにくかったことも否めません。転職が一般的な国では、給与生活者はいろいろな会社を転々とした後、「年金がもらえるようになったから」「もう仕事はしたくないから」など、それぞれの理由で仕事を引退します。一方、転職せず一つの会社を勤め上げることの多いこの国では、仕事生活と会社生活はほぼ同義であり、定年をもって引退と考えることはごく自然なことでした。「自発的意思による引退」が、ピンと来にくい環境だったのです。

 しかし、時代状況が大きく変わった今、定年をもって引退と考えることは次第に難しくなっています。老後資金の不安もある中、60歳やそこらで稼ぐのを止めることもできないというリアルな事情を抱えた人も増えており、定年は、「引退の一つの目安」程度の存在でしかなくなってきているのです。

 自分で自分の「引退」を決める時代へと、確実にシフトは始まっているのです。

「定年後」のイメージは「老後」から「新たな挑戦」へ

 定年制が変容していけば当たり前のことですが、「定年後」という言葉のイメージも大きく変わっていくことになるでしょう。定年制が撤廃されれば、言葉そのものがなくなるので、あくまでそれまでの話ではありますが・・・。

 定年=引退という認識が強い中では、その言葉は必然的に「老後」に近いイメージとなっており、そのことに疑問を感じすることさえほとんどありませんでした。「悠々自適」に代表される、消費的かつ静的なイメージが「定年後」だったのです。

 しかし、定年はこれから「引退の一つの目安」程度のものでしかなく、もはや「定年後=老後」ということはありえません。今後、定年≠引退の認識が広がっていくにつれ、そのイメージはより生産的かつ動的なものへと変化していくはずです。希望をこめていえば、「生産者としての活躍」「主体的な選択」「新たな挑戦」といった言葉が、そのイメージになってくれることが望ましいし、そうならなければならないと考えます。

ページトップに戻る