仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフvol.19
日本を代表する建築家/プロダクトデザイナーが
70代から中国で最も有名な文化人になるまで 黒川雅之氏 Part3
仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフvol.192019.03.18働く
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黒川氏が中国でもスラッシュぶりを発揮することになったきっかけは、日本の総務省が2007年に中国で開いた展示会だった。
想像以上に多くの中国人バイヤーが押し寄せ、中国でのプロダクトデザイン・生産を進めることになった黒川氏は中国のニーズをいち早く読み取った。
2005年から2010年頃、中国経済の顕著な急成長を背景に世界の工場から世界のマーケットとしてのプレゼンスは増し、中国が、世界が「まさに変わりつつある」と感じた。
マーケットとして無限の可能性を持つ中国で、モノをデザインして、作って、売りたい。すでに日本で20年続けてきたデザイン⇒製作⇒販売という「横展開の製品づくり」を、今度は中国でスタートすることにした。
リーマンショック後の2010年には自身のKブランドのショールームを北京に開き、2013年までに広州でもオープン、天津に黒川雅之建築設計顧問事務所も設立した。
中国でのビジネス経験がある先人たちから聞いていたとおり、実際の取引きではやはり様々な困難もあった。壮大な依頼話が夢物語に終わることは当たり前、支払いが滞ることもあった。
トラブルを避けるために取引きでは必ず前金制とし、入金を確認するまで動かないというルールを曲げないことで、色々な問題が生じながらも今日まで引っ切り無しのプロジェクトを請け負っている。
これまで中国での講演会で通訳をしてくれた日中ビジネスのコネクターである劉さんが中国との取引きにおけるマネージャーとなってくれたことも大きかった。中国からの依頼は想像以上に増え、次第に取引きもスムーズになっていった。
中国、天津で伝統工芸品に触れた時、日本と中国の文化の違いに気付いたことがある。日本の江戸時代に培われた文化が職人・商人による云わば町人・庶民文化であるのに対し、中国で培われてきたそれは皇帝文化であると感じた。中国では一般庶民が皇帝に憧れ、近付きたがっている。
また中国は共産党革命以降、古い文化を排斥してきただけでなく、キリスト教文化をベースとした欧米の文化にも染まっていない。
西洋と東洋の美意識の違い、根底に流れる思想・認識の相違はどこから生じてくるのか。かねてからの疑問と問題意識が中国と日本を行き来するうちに「東アジアの美意識」というテーマに帰結し、中国で最も権威があるとされる美大、北京の中央美術学院で講演をしたことで、中国で教育者としても大ブレイク。2005年以降、毎月のように中国各地の大学などで催される講演、シンポジウム、国際フォーラムに招聘されることになる。
Part4へつづく
(文 槇 徳子)