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仕事
2019年03月11日

仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフvol.18

日本を代表する建築家/プロダクトデザイナーが
70代から中国で最も有名な文化人になるまで 黒川雅之氏 Part2

仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフvol.182019.03.11働く


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建築学科に籍を置く学生時代からプロダクトデザインにも目覚め、兄である黒川紀章氏とは違う世界で頭角を現してきた黒川雅之氏が、70歳を過ぎて如何に中国でも活躍の場を広げることになったのか、率直に知りたいと思った。沢山の作品、製品を世に送り出してきた氏の実績を中国から注目していた人々がいたのだ。

2005年頃、上海に住む中国人の友人に上海ガニを食べに来ないかと誘われた。ほんのグルメ旅行のつもりで出かけた上海で、翌日には中国の記者が待ち構えていて取材を受けることになり、あっと言う間に幾つかのメディアに載った。

中国でのビジネス話を持ち掛けられた際、躊躇はなかった。「中国で活躍してみたい」率直な思いが先に立っていた。

中国でビジネスを始めるにあたって、反対や心配の声も少なくなかった。大手建設会社で中国を担当した経験がある友人、知人たちからは様々な忠告も受けたが、最初から気持ちは決まっていたという。

「中国人を心から、心の深いところから信じて仕事を始めることにした」「付き合う前から中国人を信頼し、好きだと『決めて』付き合いを始めた」

氏は「好きになる」と「好きだと決める」ことの相違を考えてみることが大切だという。「そう決めること」で、自分が主体になれる。

自分が決めたのだからそうするだけ、その潔い表現に、生涯現役で快進撃を続ける黒川氏の極意を感じた。

翻って「死ぬまで働きたい」ではなく「死ぬまで働くと心に決める」ことから、新しい高齢社会が見えてくるのではないか、という言葉にも目から鱗が落ちた。「すべては心の問題。法律でもない、慣習でもない、一人ひとりの心の中で、『決めること』から始まるのだと思っている」

100年時代に生きる私たちへの大いなるエールとメッセージだ。

中国人を信頼し好きになると「決めた」黒川雅之氏が最初に手掛けた中国のビジネスは日本で製品化していた自社製品の鉄瓶、茶器セットや食器、グラスなどを中国で売ることだった。

日本の総務省が2007年に中国で開いた展示会に想像以上に多くの中国人バイヤーが押し寄せ、「自分たちのためにデザインしてほしい」と依頼してきた。

その後、あっという間に黒川氏の名前は中国全土で有名になっていく。

Part3へつづく

(文 槇 徳子)


■ 黒川雅之氏のプロダクトサイト

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