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仕事
2019年03月08日

仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフvol.17

日本を代表する建築家/プロダクトデザイナーが
70代から中国で最も有名な文化人になるまで 黒川雅之氏 Part1

仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフvol.172019.03.08働く


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黒川雅之氏が80代でスラッシュ・パーソンを体現していることを最近知った。

100年時代のお手本に相応しい人物のオフィスは西麻布の外苑西通り沿いにある。

現代日本のレオナルドダヴィンチと称える声もある氏は、建築家だけでなく、プロダクトデザイナー、教育者であり、また中国でのプロジェクトを数々成功させたビジネスマンでもある。80歳を過ぎた今尚、日本と中国を目まぐるしく行き来する氏は如何にしてスラッシュを実現していったのか。

「学生の頃から建物をつくることも、鉄瓶やコップをつくることも同じと考えていた。都市化が進み、一軒家の建築からマンション建築への移行が止まらない高度成長期の日本。建築物は産業プロダクトと化し、都市は超高層ビルにより立体化することを見据えて、大学での研究テーマは「住居都市(Living City)」だった。

しかし、建築作品の「アートとしての側面」も「産業プロダクトとしての側面」も「デザインしてつくる」過程は同じであると学生のうちから気付いていた。

20代にして建築家でありプロダクトデザイナーとなった氏が目指したスタイルは、一人で何でもできるAll Arounderだった。

今流に言い換えれば、立ち上げから完成までコミットする「アントレプレナー」とも言えるのではないか。経済成長が進むうちに産業が巨大になる一方で構造は細分化し、従事する人の仕事も細分化されて専門性が強調されていくが、その流れに逆らいたいと思った。

黒川流に表現すれば「過去への原点回帰」。

仕事の細分化、専門化と呼ばれるプロフェッショナリズムの追求から、敢えて一人が何でもやるアマチュアリズムこそが原点回帰ではないかと考えた。

ルネサンス時代は、高度なアマチュアリズムを持ち合わせた一人の独壇場だったはずで、事実、ミケランジェロは絵を描くだけでなく、運河まで作ったのだ。

大学院に通いながら働いていたGKデザイン研究所では建築部を作らせてもらい都市化と産業化の研究をさせてもらっていたが、博士課程修了と同時に辞めて独立。「何でもできる」All Arounderスタッフ10人までの規模でできる仕事をしたいと思った。この体制で、大阪万博、つくば博、沖縄海洋博にも関わり、一方でニューヨークのMOMAにも収蔵されるプロダクト、ゴムとステンレスを使った灰皿等インテリア小物や数々の椅子、鉄瓶から食器、時計など無数の作品も生み出すことになる。

それから30年を経て、作品製造会社「K」を設立したのは2006年、70歳目前であった。

10年ほど前の70歳前後から中国に招聘されるようになり、ここ10年で中国各地で設計・建築を依頼されるに至り、その土地土地の大学で教鞭をとるようになった。

Part2へつづく

(文 槇 徳子)

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