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仕事
2018年12月27日

仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフvol.7

外資系企業での輝かしいキャリアから一変。
リストラを機に新たな自分を発掘、発信し続ける勝屋 久さん55才 Part3

仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフvol.72018.12.27働く


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死を考えるほどの絶望感から一転、新たな人生を踏み出し、多くの仕事の機会を得ることができた理由は二つあると思っています。一つは、自分の内にあるものと究極まで向き合い、本当にやりたいことを言葉にしたこと。もう一つは、全てのプロセスを支えてくれている、パートナー祐子さんの存在のおかげだと思っています。

リストラ後のどん底から仕事も徐々に増え、2年ほど経ち安定志向に傾いた自分に「画家になってみたら?」という、思いもよらない新たなチャレンジを投げかけてくれたのが、パートナーの祐子さんでした。これまでプレゼン資料に盛り込んでいたイラストの上手さ、描きためていた絵のユニークさを真っ先に評価してプロデューサーをかって出てくれたのです。

長じてから実は弱視であることがわかり、色付きの絵を描くことに躊躇する自分もいたのですが、ヴィヴィッドな色使いで、何か大切なものに気付かせてくれるような作風に仕上がった絵は、3年前の1回目の展示会でほぼ完売、その後4回に渡る大好評の展示会を通してファンも増え、今ではジグレー版画やカレンダーを販売するまでになりました。50歳を過ぎ、まさか画家としての第一歩を踏み出すことになるとは思いもよらないことでした。

またベンチャー企業の顧問としても、経営者と本質的なことを語り合う相談相手になりました。上辺の戦略や手法を説くだけではなく、心の交流を心掛けました。あるプロジェクトでは、メンバー達のチームビルディングが上手くいっていなかったため、自ら率先して本音でぶつかり、チームの心を一つにまとめていきました。

縁を大切にして100%の力を出すことで仕事はその後も次々舞い込んでくるようになりました。大企業を離れ、リストラという絶望の中から何とか立ち上がって2,3年で、サラリーマン時代からは想像もつかなかった人生を歩み始めました。そしてどん底から7年半、自分が社会に役に立ちたいという想いは溢れ、「心でつながる場を創り、人の輝きを呼び覚ますお手伝い」を今後もし続けていきたいと思います。

Part4・・・に続きます

(文 槇 徳子)

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