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生活
2018年11月26日

シニア海外ボランティアへの参加 vol.1 -自走人インタビュー:島田明夫さん-

シニア海外ボランティアへの参加 vol.12018.11.26先輩に聞きました


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シニア海外ボランティアへの参加 vol.1 -自走人インタビュー:島田明夫さん-

新連載企画『自走人インタビュー』、ご紹介させていただく「自走人」は、埼玉県にお住いの島田明夫さんです。島田さんは、定年を間近に控えた58歳の時、会社をお辞めになって「国際協力機構(JICA)が主催する「シニア海外ボランティア」に参加され、日本語教師としてご活躍されました。

定年満了直前に辞表・・・そのとき家族は!?

Q:定年間近になって会社をお辞めになったということですが・・・

Ans 58歳で会社を辞めました。私の場合は60歳定年で、その後も雇用延長制度のようなものもあったんですが、そのころ役職定年制度ができたり、不必要だと思われる会議資料作りや他部門の仕事のリカバリーなど後ろ向きの仕事が多くなってきて・・・こんな仕事がこの後何年も続くのかと思うと、なにか、燃えないというか・・・。

自分の時間を自分のために使いたいって思ったんです。苦労するとも思ったんですが、苦労するなら自分のために苦労したいと思ったんです。それなら、我慢できるかなって。

Q:会社を辞めるとき、奥さまは止めませんでしたか?

Ans それはですね、自分でもひどい話だと思うのですが、家族には全く相談しませんでした。家の者に知られないように、こっそり早期希望退職願いを書いて、会社の同僚や上司に気づかれないように、朝早く出社し茶色い社内メールの封筒に入れました。

Q:その・・・社内の大きな茶封筒に早期希望退職願いを入れるとき、寂しさや、未練や、逡巡のようなものはありませんでしたか?

Ans 一緒に働いてもらっていた仲間には申し訳ない気持ちでいっぱいだったし、33年間勤めることができて、育ててくれた会社に別れを告げるのは本当に寂しかったのですが、提出したあとは・・・、「よし!これで終わった!」って感じでした。

Q:会社をお辞めになったことをいつご家族に知らせたんですか?

Ans 早期希望退職願いを提出した夜です。帰宅して夕食の時、「今日、会社を辞めたから」って言いました。女房もね、怒るかなって思っていたんですが、怒らなかったですね。

でも、「これからどうするの?」って聞かれたんで、前向きに捉えてくれているのかなと内心ほっとしました。

「考えていることがある。やろうと思ってる」とだけ言って、あまりもめることもありませんでした。

Q:とはいえ、会社を辞めてJICAに応募するまでいろいろ計画をお立てになっていたんでしょう?

Ans いやいや、それはないです。シニアボランティアのことは、以前から電車の広告とかで知っていて、ある程度のことだけ聞いたり調べたりはしていました。

社内で2004年4月から6月まで早期希望退職者の募集がありましたが、6月の初めころは、会社を辞めようなんて全然考えていなかったんですよ。むしろ、まだちょっと(サラリーマンを)続けていこうかなぁ、くらいのことを考えていました。でも、6月中旬になって、一瞬のひらめきというか、あとでどうなるかはわからなかったですけど、ざっくり決めて退職することにしました。

退職後すぐ2004年の7月から12月まで日本語教師養成校に通いました。11月にJICAの秋の募集があることを知って、まだ受講中で日本語教師の経験も全くありませんでしたが応募してみました。派遣先に南米が含まれていて、大学の時から、南米の文化に興味があって、スペイン語を勉強していましたので、スペイン語の勉強にもなるかなという気持ちもあって応募しました。

Q:結果はどうでした?

Ans そりゃあ、もちろん滑りましたよ!でも、12月に日本語教師養成講座を終えた時、最後はJICAだって決めていました。経験が圧倒的に足りていないのはわかっていたので、そこからは武者修行というか、ドサ回りを始めたわけですよ。

日本語教師武者修行

Q:武者修行先はどうやってお決めになったのですか?

Ans 最初は中国でした。2005年の3月に日本語教師の募集があることをインターネットで知りました。で・・・その月のうちに単身で中国に渡りました。

Q:即断即決ですね!

Ans 初めの派遣先は上海の郊外の日本語学校でしたが、2週間教えました。

Q:短いですね・・・

Ans 実際に生徒に教えるのは初めてでした。教え方が上手いわけでもないので、当然、学生さんは不満を持ちます。

中国っていうのは厳しいところで、生徒は、高校や大学を卒業した人が多いんですが、僕の教え方が気に食わなかったのか、授業をボイコットするんですよ。日本ではあまり聞かないことなんですが、中国ではよくあることらしくて・・・

「これは、だめだな」とパッと見切りをつけて2週間でその日本語学校を辞めました。

同じく、日本語教師の資格を持っている兄がいるんですが、その兄に「おれ、辞めるから」って泣きを入れたら、兄が「なに言ってんだ!尻捲って帰って来るな! 帰って来る前に新しい日本語学校を探してこい! と叱られまして。そこで、幸い元の会社の同僚が上海に駐在していたので、連絡を取って、彼のアパートに観光ビザが切れるまでの2週間ほど居候させてもらって、現地で採用してくれるところを探しました。そのとき(2005年4月)に中国全土で反日暴動の嵐が吹き荒れましてね……。小泉総理が靖国神社に参拝したり、日本が国連の理事国になるのを反対したりっていう時でした。いろいろ大変でしたが、運良く、2週間で私を採用してくれる日本語学校を見つけることができました。観光ビザが切れる直前だったので、いったん帰国して5月の連休明けに再度中国の土を踏み日本語教師としての仕事を再開しました。

上海の西の蘇州(そしゅう=スウジョウ)の近く南通(なんつう=ナントン)というところでした。田舎なんで苦労もありましたが、南通の日本語学校で3年半ほど経験を積むことができました。

そのあと、日本に帰って、高知の明徳義塾という学校で、中国からの留学生に1年半日本語を教えました。明徳義塾で教えているうちに、学校が上海に提携校をつくるから、そこに行くように言われて、上海の浦東(ほとう=プートン)地区でさらに2年経験を積むことができました。帰国の直前に縁があって、タイの大学でさらに2年の経験を積んで日本に戻ってきました。

vol.2へつづく(2018/12/10公開)

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島田明夫さん
1946年生まれ。高知県高知市出身。
1971年早稲田大学卒業後複写機メーカーに就職。2004年58歳で早期退職し日本語教師の道に進む。日本語教師養成講座を終了後、中国で5年半、日本で1年半、タイで2年日本語教師としての経験を積み2015年4月にJICAシニア海外ボランティアに応募。2016年1月から2年間チリ共和国の首都サンティアゴの「チリ中央日本人会」で日系人とチリ人に日本語を教える。2018年1月に帰国。

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