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生活
2018年10月09日

自走人生のための時間の作り方

自走人生のための時間の作り方2018.10.09先輩に聞きました


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“時間は作るもの” 元国連事務次長が多忙な人生を振り返り、自走人生について考える。

「人生70歳を過ぎると、大体わかって来る。知恵もある。人生を変えていくには少し遅い。そんなシニア世代が何かしようと思うなら、これまでの知恵を活かして、自分を変えようとするのではなく、自分を活かしながら周囲に適応していくこと。自分を変えるなんていうのはもう無理だし、そんなことに時間を費やすならば、これまでの知見を活かし、それを力にしていく方がずっといい。」

こう語るのは元国連事務次長の田中信明さん(70)。田中さんは、1970年に外務省に入省後、ベテラン外交官として、サンフランシスコ総領事、駐パキスタン大使、ユネスコ事務次長(財政、人事、総務担当)などを歴任した後、その実績と経験から2006年に国連事務次長(軍縮局長)に任用されました。まさに、日本の外交の最前線で経験を積んできた国際交流のスペシャリストです。国際舞台で様々な問題と闘い、日本と世界の国々を支えてきた田中さんに、現役時代の多忙な生活と、今考える今後の生き方についてお話をうかがいました。

世界を回って学んだ“順応する脳力”

田中さんは国際機関の経験が長く、1980年代には国連広報局で明石康事務次長の下、広報官を務めています。湾岸戦争の際には北米一課長として、議論の中心にいました。真っただ中いました。
国同士の問題や重要機密を扱う身として、命の危険を感じたこともあるという田中さん。緊迫した状況の中で重要な決断を迫られるプレッシャーは、相当なものだったことでしょう。

「転々とする人種の中で生きていくためには、天下に順応する能力が高くないとどうしようもありません。若い時はスラム街を見ながら無駄な時間を過ごしてるんじゃないかと思ったこともありましたが、基本的にはそこで楽しいことを見つけて追求していくと面白いんです。パキスタンもトルコもフランスもイスラムも行きましたが、どこの国に行っても面白かったんです。大使になり、動かしていくという立場になって、視野がぐっと広がりました。パキスタンもトルコも、動かさないといけないものがすごく多かったからです。人権問題、テロリズム問題、援助問題、地震救助問題、文化交流、全てありましたから。でもそれぞれのところで、順応していかなければ、やっていくことができないいんです。」

重要な役職を歴任しながら、様々な国を回り、その時々の問題と立ち向かってきた田中さん。外交の最前線で力を発揮し続けることができたのも、絶え間ない努力あってのことでしょう。

時間は作るもの。与えられるものではない。

外務省の生活は、課長までがとても忙しかったと語る田中さん。

「毎日12時過ぎです。本当に忙しかったのです。でも、それが日常です。」 日々めまぐるしく変化し、新しい課題や問題が発生する外交の世界で、多くの人を動かし問題解決に尽力していくことは、おそらく私たちの想像を超えた責任や負担があったことでしょう。しかし田中さんのお話からは、そんな多忙さの中に確かなやりがいと、自ら楽しみ、日々を充実させてきたという様子が伺えました。

「時間は作るもので、与えられるものではありません。そして与えられたら、十分に活用すべきなんです。忙しければ忙しいほど自由な時間が生まれ、その時にワインの勉強をしたりするんです。周りにも、どんなに忙しくても寝る前に1時間は必ず読書をする、というような人もいました。」

田中さんはワイン学校に通っていた経歴を持ち、外務省の中で最初のワイン・エキスパートになったといいます。多忙な田中さんだったからこそ、言えることなのでしょう。田中さんの言葉は、忙しいと言われている現代社会を生き抜かなければならない私たちに、多くの勇気を与えてくれるのではないでしょうか。

歳をとることに関しては考えない。絶えることのない“知的好奇心”

田中さんがこれほどまで心身ともに若く、アグレッシブであり続けるのは、常に新しいことに興味を持ち、何かに熱中しているからなのでしょう。田中さん自身は、年齢について以下のようにおしゃっています。

「歳をとることに対してプラス、マイナスのようなことは特に考えていません。歳をとると身体が動かなくなっていくというのは感じています。自分自身はまず健康。30年以上前から食事にはとても気を使っています。ベジタリアンをやったり、間食をしなかったり、コンビニ弁当は食べないようにしています。脳は内臓のコントロールから、手足のコントロールまですべて行うので、大変重要です。現役で大学の授業をし、物を書き、分析作業などしているとボケないでいられます。そんな生活のなかで、健康を軸にしていろんなことをしています。いくつになっても精神的に若い、一番の秘訣は恋愛をしていることです。何かに、誰かに。時折見つけてはそれを掘り下げていくんです。知的好奇心は尽きないです。」

多くのことを経験しやりたいことはやりつくしてきたとおっしゃる一方で、お話を聞いていると、やはり今でも身の回りの様々なことに目を向け、興味関心を持ち続けているということが感じられます。

「目的意識がないと人生は楽しくありません。人生、何をしたくて、何のためにやっていくのか。目的はやっぱり抽象的なものです。お金持ちになる、というようなことは目に見えるものですが、それが目的になるとは限らないのです。目的を自分の中でしっかり持っていることが大切です。」

仕事と趣味の世界どちらに於いても、新しいことへの興味を絶やすことなく、何かを追求していくことが、いくつになっても物事にやりがいを見つけ、人生を楽しんでいく秘訣なのかもしれないと感じました。

70歳を超えた今

多忙な人生と共に、多くの苦難を乗り越えながら日本を支えてきた田中さん。70歳を過ぎた今、決して卑屈にならず「自らの人生を認め、知識や経験を活かすことによって70代を生き抜く道」を歩み続けていらっしゃいます。いつまでも力強く、アグレッシブに生き続ける田中さんの姿は、「自走人」の理想像と言えるのかもしれません。

培ってきた知恵と経験を活かし、ぜひこれからもそんな素敵な信念を貫いていただきたいです。


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田中信明(たなかのぶあき)
東京大学法学部卒業後、1970年外務省入省。ケンブリッジ大学キングスカレッジ卒(経済学修士)。世界平和研究所主任研究員、早稲田大学国際部非常勤講師(1987~1992)、同志社女子大学教授(2002~2004)を勤めながら、大洋州課長、企画課長、北米一課長、外務副報道官、北米局・総合政策局審議官、サンフランシスコ総領事、駐パキスタン大使などを歴任。

国際機関の経験が長く、1980年代には国連広報局に明石康事務次長の下で広報官、1994-1997年にユネスコ事務次長(財政、人事、総務担当)を務める。その実績と経験が評価され、2006-2007年にアナン事務総長を補佐し、国連事務次長(軍縮局長)に任用される。その後、2007-2011年に駐トルコ日本国大使を務める。2011年にガイアコンタクトを設立し、現在、コンサルタントとして活動中。沖縄科学技術大学院大学 評議員日本・中東医学協会理事

ブルゴーニュ、ボルドー騎士団員、ワイン・エキスパート、WSET上級有資格等ワインに関心あり

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