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生活
2018年07月13日

定年後の歩き方・私の場合 vol.2

定年後の歩き方・私の場合 vol.22018.07.13先輩に聞きました


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新谷幹雄さん「ライフイベントチャートが新しい一歩を踏み出すきっかけに」

60歳で定年を迎え、余生を過ごすというのは昔の話。平均寿命も延び、人生100年時代。定年後の40年をどう過ごすか。定年後、新しい人生を踏み出した先輩方の生き方を伺った。今回語っていただく先輩は、新谷幹雄さん。十分なキャリアを積み、「再就職はしない」と決心して早期退職した新谷さんが進んだ道は、大学院進学だった。会社の監査役をしながら税理士免許も取得。その心境の変化とは。

定年後の歩き方・私の場合 vol.2

2回目のリストラをするのが苦痛で早期退職

2002年55歳のときに早期退職をしました。大学院を修了後、BASFというドイツの石油化学の会社に就職し、会社の合併や出向、売却などの中で、40代後半のときには、系列会社である福井を本拠点としている一部上場の製薬会社に出向しました。

そこで常務取締役管理本部長となり、1998年、450人の社員の中から120人を目安にリストラを行うことになり、その責務をまっとうしました。その後、米国の製薬会社がこの会社を買収しましたので私も転籍しました。しかし、そこでもさらにリストラをする使命を受けることになったのです。

東京ではリストラにあっても再就職口を見つけやすいと思いますが、福井ではなかなかそうはいきません。前回は懇意にしていただいた地元の社長さんたちがリストラした社員の再就職斡旋に動いてくれました。しかし残ってくれた人たちを対象にまたリストラをするのかと思うと、1回目は職務として割り切りましたが、再度ということが自分の中でも苦しくなり、早期退職をすることに決めました。

そうはいっても東京の自宅マンションのローンが残っていたので、早期退職金をいただければ辞めると転籍先の会社と交渉。意外とすんなり成立しローン返済のめどがついたので、心まで売って仕事を続ける必要はないと、55歳で退職しました。

幸いなことに、出向先の肩書は常務取締役でしたが、出向元の会社では部長職でしたので、雇用保険の失業保険がもらえることに気がつき、ハローワークに行きました。

そこで職業訓練を受けられることを知り、試験を受けて合格したので職業訓練校に通うことになりました。経営やキャリアカウンセリングの授業を受け、さらにパソコンのワードやエクセルを学ぶことができました。

当時は、職業訓練を受けると通所手当がもらえ、雇用保険が切れたとしても学校に通っている1年間は雇用保険の受給延長もありました。そのため雇用保険をもらっている人が職業訓練校に通学すると、すごくメリットが多い時代だったのです。

早期退職後、自分の夢を思い出して・・・

その職業訓練校で小島貴子先生(現東洋大学准教授)のキャリアカウンセリングの授業を受けて、その後の人生が大きく変わることになりました。

自分はすでにキャリアがあり働く予定もなかったので、最初の授業で小島先生に、「僕はもう働かないと決めたんです」と断言をしました。でも、小島先生の授業で「ライフイベントチャート」という、自分のこれまでを振り返るワークに取り組んだときに、過去にやり残したことがあったことに気がついたのです。

商業用語で「棚卸し」という言葉がありますが、「ライフイベントチャート」を作ることは、まさに自分の人生の「棚卸し」をすることでした。

棚卸しとは、在庫を検品して、まだ売れる物と売れない物を仕分けることです。つまり、自分の人生の中でまだ使える物と使えない物の仕分けをしていくのが、このライフイベントチャートの目的でもあったのです。

ライフイベントチャートを書き自分の人生を振り返ってみると、どん底にいたときに必ず人との出会いがあったことに気づきました。そのおかげで立ち上がれたことが分かって、改めて人との出会いが大事で、これからもそういうのを大事にしなくてはいけないというのを客観的に見られるようになったのです。もちろん、家内が一番大事ですが(笑)。

また、自分の人生でよくないと思っていたできごとが、後から考えると実はすごくよかったり、よかったと思っていたことはそうでもなかったり、ということなども分かりました。

「僕は絶対二度とサラリーマンをやらない、サラリーマンのような酷な仕事はない」と思っていた自分が、「これまでとは違う形で、また働くことができるかもしれない」と思うようになったのです。

それと同時に、学生時代に修士を出たあと大学に残りたかったのに、やむなくサラリーマンになった後悔の気持ちも自分の中にあることに気がつきました。

ライフイベントチャートを書いたことで、「自分はまだ、もうちょっと頑張れるのでは? もう一回いろいろ挑戦しよう!」という気持ちが生まれてきたのです。

やり残したことをやるために、大学院進学を決意

その後、再就職の面接を何度か受けましたが、実は心のどこかに「自分は仕事をしてはいけないのかな」という迷いがありました。

前の会社の人たちを自分がリストラしたのに、自分は新しい会社に行って給料をもらい、また誰かをリストラするかもしれないというのが、人としてやってはいけないというか、罪悪感があったのです。

では会社に勤めず、何をやるのか?自分は何ができるのか?と考えていたとき、妻の「大学院にもう一度行ったら?」という一言に背中を押され、大学院に社会人入学することを決めました。

商学部を出て財務部の仕事をしていましたが、ずっと苦手な税務から逃げて部下に任せっきりでしたので、出身大学の大学院で国際税務を学ぶことにしました。

ライフイベントチャートを書くことで、自分の人生そのものを振り返ったことは、私にとって、これまで見ないようにしていた、やり残したことや苦手なことから脱却するきっかけとなりました。

大学院に通うようになって間もなく、かつて勤務していた製薬会社の監査法人のパートナーから、「また仕事を一緒に」という電話が。大学院で学びながら、スペインのZARAという会社で監査役をすることになりました。

大学院の方は、修士課程を2年間で修了し、博士課程へと進みました。その時点でもう60歳に近かったので、一昔前なら「60歳を過ぎてドクターを取って、どうするの?」と言われそうですが、今は人生100年時代。小島先生にも、「60過ぎてからドクターに行っても、ドクターで得たものをまだまだいろいろな形で使える」と勇気づけられました。

大学院の博士課程に進み、9年間在籍して67歳で修了しました。本当は3年間ですが、会社の監査の仕事もあり、なかなか博士論文が進まず、3年間の休学をはさんで、なんとかドクターを取ることができたのです。しかも税理士の資格試験も、ドクターを取れば税法3科目が免除になることもあって、税理士の資格を取得できました。

現在、税理士としての仕事はしていませんが、論文が掲載されるときに「税理士 新谷幹雄」と書けるし、大学院に進んで自分の夢を一つ叶えることができました。また、税理士になることは家内と義母の夢でもあったのです。

母には以前から「仕事が財務なら、税理士の資格を取りなさい」と言われていました。母は認知症を患っているのですが、2年前、税理士として登録できたことを報告すると、「おめでとう」と言ってくれました。親孝行のうち、100分の1か1,000分の1か、1万分の1か分からないですけど、母が生きている間に少しでも親孝行できたことが、人生の達成感にもなりました。

大学院は、趣味よりも安上がりな自己投資!

定年後は蓄えが確かに必要ですが、生活をしていくにはある程度あれば十分。サラリーマンであれば、大学院に進むことも定年後の一つの選択肢だと思います。

アメリカの大学は、1年間で700万、800万もかかりますが、日本の大学、私が行った大学院は年間60万です。修士課程を修了して博士課程に行けば、学費は半分の30万円。30万円で指導教授を1年間一人で独占できるのです。

今の大学院は昔とはだいぶ違って、社会人が入りやすくなっています。学生時代に行きたかった、行けなかったのなら、ぜひ定年後にチャレンジしてほしいと思います。

自分が本当にやりたかったことがあれば、ぜひ自分のために投資をしてください。今までは家庭のためにお金を使っていたかもしれませんが、これからは、お金と(有り余る)時間を自分のために使えるわけです。

50歳なら、まだ30年間元気でいられます。時間は十分あるし、実務経験を持っている人なら、なおさらそれを種にして、大学の先生には書けない、オリジナリティーのある修士論文を書くことができます。

定年になる前は、仕事を辞めたらあれもやりたいこれもやりたいと思っていても、いざ定年になると、ほとんどの人は家にいてテレビを見ているだけになってしまいます。せっかく昔抱いた自分の夢を叶えられる時間ができたのに、もったいないと思いませんか。

退職金を1,000万もらって、これを元手に起業するのもいいですが、例えばラーメン屋をはじめたとしても、退職金をすべて注ぐどころか、借金を負うことにもなりかねません。もちろん、ラーメンを作る才能がすごくあって、他の人が作れないようなラーメンを作れるなら別ですが。

また、退職金を趣味につぎ込む人も多いですよね。趣味にお金を使うのも悪くはないですが、趣味は趣味。何か一つくらい、他の人に誇れるものを持ちたいと思うなら、大学院の学位は、まさにうってつけです。意外にお金はかかりませんし、自分のやり残したことがあれば、ぜひ大学院で学び、論文を書いて学位を取得することを選択肢の一つとして考えてもらいたいと思います。定年後の人生は、有形財産よりも無形財産の方が価値がありますし、面白い人生が待っています。


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定年してからも多くの出会いと発見がある人生を送ってほしい、通勤・就寝前のほんの少しの時間、各ジャンルの設問に答えるだけで、あなたが知らない自分に気がつける。きっと・・・これからの人生を豊かにする答えがここにあります!


新谷幹雄さんのプロフィール
大学院修了後、石油化学会社に就職。吸収合併を経て、退職前は製薬会社の常務取締役。55歳で早期退職後、母校である中央大学の大学院に入学、博士号を取り、税理士の資格も取得。

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