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生活
2018年07月12日

定年後の歩き方・私の場合 vol.1

定年後の歩き方・私の場合 vol.12018.07.11先輩に聞きました


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林正統さん「定年ライフを円滑に回すためには、家族の自立が大切」

60歳で定年を迎え、余生を過ごすというのは昔の話。平均寿命も延び、人生100年時代。定年後の40年をどう過ごすか。定年後、新しい人生を踏み出した先輩方の生き方を伺った。記念すべき第1回の先輩は、林正統さん。定年延長をせずに、退職。千葉の実家で実母の面倒を見ながら、畑仕事。時に都内の自宅に戻って、友人たちとの付き合いを楽しむなど。2つのコミュニティーを行き来する、そのよさを語ります。

定年後の歩き方・私の場合 vol.1

定年の延長をせず、潔く退職を

昭和50年に大東文化学園の事務職員として就職し、入試の広報担当からスタートして、最後は事務局長まで務めました。 

現在、ほとんどの企業では定年延長制度がありますが、私の大学も63歳で役職定年、64歳で定年退職という規則がありました。僕が辞める数年前に、役職定年を見直そうというような話が出て、役職者会では反対意見はほとんどありませんでした。しかし一般職員の中から、規則を見直すのはいかがか、という意見が数件出まして。

事務職員の数からいえば、かなりマイノリティーな意見でしたが、僕はそっちの意見のほうが大事だなと思い、理事長に現行の規則をそのまま使っていきたいと上申しました。

理事長はかなり怒りましたが、若い職員たちが働きやすい環境さえ作れればいいかなと思い、選択定年制度を使い63歳で辞めることにしたのです。

妻が図書館司書の仕事を持っていたのと、その妻からの「収入がなくなるのは仕方がない。でも辞めてもどうにかなる。辞めるんだったら潔いほうがいいのでは」というアドバイスも、僕を後押ししてくれました。
僕が60歳ぐらいのとき、母がひざの手術をして歩くのが困難になり、土日だけは都内の板橋から千葉の成田にある実家に帰り、母親の畑を手伝うようにしていました。退職後の現在は、1週間に4泊5日を実家で過ごしています。

実は大学を退職したときも、2つの学校から声を掛けていただいたのですが、それを母に言うと、「ダメに決まっている。私の面倒は誰が見るの」と言われ、「分かった」と(笑)。数年前に父親が亡くなって母が一人暮らしになってからは、いずれこういう生活になるだろうと考えていたので、一応母に再就職の相談はしてはみたものの、予定通りの生活をしています。

僕は今65歳になりますが、何歳になっても母親にとって息子は息子。畑を耕せとか、肥料を買って来いとか本当にうるさくて、実家に戻るたびに親子喧嘩をしています(笑)。

親の世話と孫の世話を、夫婦で分担

今、板橋と成田での二重生活をしていますが、退職をしたときに、妻も一緒に成田に戻るという選択肢はありませんでした。

妻は働いている図書館で子供たちへの読み聞かせの活動をするなど、彼女の中で、仕事的にすごく乗っている時だったのです。さらに、これまで盆暮れ正月ぐらいしか実家に行っていない妻が、いきなり僕の実家に戻ったとしても戸惑ってしまうでしょうし、母のほうも変な気を遣うでしょう。双方に精神的な負担を与えるといけないと思ったのです。板橋と成田なので、どちらにいても、電話があれば飛んで帰れる距離なのも幸いでした。

また人によっては、介護というと夫の両親でも、妻が介護に行くというイメージを持たれる方が多いかもしれません。しかし僕の周囲では、60歳を過ぎてからの場合、定年退職した夫のほうが自分の母親の介護をし、妻は孫のために自分の子供たちのところへ行き子育てのヘルプをする、というパターンも増えているように感じます。

わが家の場合は、今度また娘に2人目(=孫)が生まれるので、娘が板橋の自宅に1カ月ぐらい里帰り出産する予定です。妻は娘と孫の世話、僕は母親の世話と役割分担ができています。もともと料理は苦手ではないので、板橋でも千葉でも、おさんどんをしています。もし自分が、「俺は男だから料理なんて」というようなタイプであったら、今の生活に踏み切れなかったかもしれません。

また、「退職したらボケるよ」と周りに言われましたが、往復4時間の車の運転や、母親との生活での家事など、やることが多くてボケる暇もありません。

さらに、月に1回は妻と二人で旅行に行こうと決め、今でもそれを守っています。お互いに「ご苦労さん」という気持ちで、箱根や伊豆高原の定宿に出向き、1泊2日でお湯につかって帰って来ます。

たぶん、この生活が自分にとって、いいバランスなのではないかなと思います。定年後も板橋で夫婦二人の生活をしていたら何かいざこざは起きるだろうし、僕の逃げ場はジムに行って筋トレをするぐらいしかないでしょうから(笑)。

夫婦が離れて暮らすという選択肢

ここしばらくは、この生活が続くと思いますが、この先、僕も母もどんどん年を取り、問題となっていくのは老々介護です。母の母親、つまり僕の祖母は104歳で亡くなり伯父よりも長生きをしたので、もしかしたら僕のほうが母より先に逝っちゃう可能性があるかなという部分はすごく不安に思っています。

母は今88歳ですが、母親とはいえ女性ですから下の世話が必要になって一人暮らしが難しくなったときには、施設に入ってもらう可能性も考えていますし、母にもそう言っています。

定年退職後、介護のために夫婦が離れて暮らすことは、自分にとって正解かどうかは分かりません。でも妻も母も特に問題は起きていないし、帰ったときには二人とも笑顔で迎えてくれるので、今のところは順調なのかなと思います。

実は退職した後、実家近くの高校に入学して、園芸や農業の勉強を3年間しようかなと思ったことがあります。母に「母ちゃん、俺が今度高校生になったら弁当作ってくれる?」と聞いたら、毎日作ると言うので詳しく調べたら、半年間の寮生活がありました。母の面倒を見るには、この半年間はかなりネックになるなと思い、入学を思いとどまりました。

農業大学校も考えましたが、それもいろいろな面でハードルが高く断念。結局、自分のうちで母親に怒られながら畑を耕して、二人で食べるぐらいの野菜を作っているという現在の状況に落ち着きました。

2つのコミュニティーとの心地よい距離感

今、自分の生まれ育ったところに戻ってきて、隣近所には小さいときから付き合っていた連中が住んでいて、とても気楽に過ごすことができています。ただ、田舎は狭い世界なので、遠慮なく人さまの生活に干渉してくる部分もありますが、それは昔からのことなので、特に気にしなければ煩わしいこともありません。

成田では「正統、ちょっと来い!」と、そういうふうに気楽に呼んでくれて、小学校当時の序列のまま、「はいはい、分かった分かった」とイエスの答えしかない関係でも、それはそれですごくラクだなと思います。家に寄れば、「たくあん持って行けよ」とか、そういう意味では、ガキのときと同じ付き合い方をしてくれるわけです。

現役時代は就職部で十数年間キャリア支援をしていて、いろんな人とたくさんの話ができて、そこで学ぶこともたくさんありました。

退職前の部署は埼玉の東松山校舎のキャリア支援課だったのですが、200人ぐらいの学生と接しており、彼らとは本当に深い付き合いができていました。卒業して10年以上たった今でも、時々彼らとトレッキングに行ったり、ゴルフに行ったりしています。それはそれで、すごくありがたいことだと思っています。

退職して、田舎と東京半々の生活となり、全く違う生活をしているようにも思えますが、髄所に自分が働いてきた中で得た経験や学習がいろいろな形で生かされていることを実感しています。

たまたま今日は妻の還暦の誕生日なのですが、今日彼女はどこかに食事に行くそうです。僕とじゃないです。お友達とです(笑)。妻も私も、そういう意味ではお互いに依存をするとかではなく、それぞれのコミュニティーを持ち、毎日を気楽に過ごしています。

今の生活になって、まだ2年。母親とも、妻とも、娘とも、時には喧嘩しつつも円滑に回っているので、当分はこのままいけばいいかなと思っています。


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林正統さんのプロフィール
昭和27年生まれ。大学卒業後、大東文化学園の事務職員として就職。63歳で定年を迎える。一人暮らしの実母のため、再就職はせず、板橋の自宅と千葉の成田の実家を往復する生活。

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