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生活
2018年07月09日

リレー・エッセイ 世界の「定年後」vol.2

リレー・エッセイ 世界の「定年後」vol.2

イタリア編~定年後シニアは「バール」に集う 2018.07.09定年後入門


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定年後(より一般的には「リタイアメント後」)の生き方には、その人の所属する社会の価値観が色濃く反映されます。つまり、価値観が異なる社会においては、定年後の生き方も、まったく異なるものになる可能性があるということです。世界の人々は、どんなふうに「定年後」の人生を生きているのでしょうか。現在、日本で活躍中の外国人の皆さんが、出身国の「定年後事情」についてリレー・エッセイ形式で綴る、少しユニークな連載シリーズ。多様な社会の、多様な価値観、多様な生き方を紹介します。

イタリアといえば、フィレンツェ、ミラノなどの都市がよく知られていますが、イタリアらしいライフスタイルが今でも見られるのは、全国に存在する規模の小さな街です。
ツリノ(TRINO)という、イタリア北部にある私の故郷。街から出なくても特に不自由なく一生を送ることができる、小さいけれど快適なところです。

人口およそ7000人に対して、スーパーマーケットが2軒、洋服屋は6軒、小学校と中学校が1校ずつ、パン屋さんが4軒で薬局は3軒。以前は病院だった場所に、今は老後施設があります。

こうした生活必需型の施設の数と比較してほしいのが、社交場的な施設の数です。教会は12軒、バール(BAR、イタリア風のコーヒー屋)は16軒、そして床屋と美容室があわせて8軒。イタリアでは、昔からどこの街でも、こうした施設が非常に多いのです。

ツリノでも少子高齢化は進んでいて、子どもたちの姿は目立ちません。街をにぎやかにするのはシニアたち。彼らの交流の拠点が、上記の「バール」なのです。

日本の皆さんもご存じのとおり、イタリア人の生活にコーヒーは不可欠。そこで顔なじみのバーテンダーや常連の仲間たちとの会話を楽しむための場としてバールが生まれました。社交場としてのバールそのものは、300年も前からある古い文化ですが、以下に示すような現代風のバールとして定着したのは、戦後の経済成長期、1960年代です。

どんな小さな街にもバールは複数あって、以下の3つのバールは必ず存在します。

まず、「中央バール」(BAR CENTRALE)、そして「スポーツバール」(BAR SPORT)、それから駅またはバスターミナルのそばの「駅のバール」(Bar della Stazione)。ツリノには3つともあり、それらは例にもれず60年代に開業したものなので、昔からの常連はほぼ、シニア世代です。

「中央バール」は名前のとおり、街の中央にあり、教会もそばにあるので一番にぎやか。食事前の時間や日曜日のミサの後でそこに集まるシニアたち(特に男性)は政治話が好きなので、いろいろな新聞が置いてあります。バールに着いたら、まずコーヒーを注文し新聞を読む。そのうちに常連の仲間がやって来て、その日の政治的な話題について、大きな声でディスカッションを始める。女性の方は、仲間とおしゃれなドリンクを飲みながら孫の話や家族の話を楽しむというのが、よく見られる光景です。

「中央バール」の男女比率は同程度ですが、「スポーツバール」と「駅のバール」では、男性シニアが圧倒的に多くなります。昔、女性がバールに行くことはあまり好ましくないとされていたので、「中央バール」のようにしゃれた場所ではない限り、シニア女性の方々を見ることは少ないのです。

「スポーツバール」は、大きいテレビモニターでサッカーを始めとするナショナル試合をすべて観戦できることが特徴で、仲間と試合について対談できることが最大の魅力。スポーツという話題を通じて、付き合いを保っていける場所なのです。

「駅のバール」は中心部から離れた駅ビルにあることが多く、他のバールよりも少し地位が低いところでもあります。

ツリノの「駅のバール」にはトランプやギャンブルが好きな常連が多く、トランプが大好きだった私の祖父も常連の一人でした。若いころ出稼ぎ労働者であった祖父は、会社を立ち上げて成功させた後、定年後は、ほとんどの時間を家庭とバールとの間で過ごしていました。

彼は、朝のコーヒーなら「中央バール」、午後の世間話なら「スポーツバール」、そして仲間とトランプするなら「駅のバール」と見事に使い分けて、3軒とも通っていました。バールは、人と出会い、コミュニケーションをする場として一番重要なのですが、そのおかげで祖父は、定年後の毎日を、仲間と政治の話、スポーツの話、食べ物の話などをして過ごし、短い間ではあったが、とても楽しい日々を送ったようです。

ここまでバールの説明をしてきましたが、では、イタリアの「定年後のサラリーマン」たちと、バールの関係はどうなっているのでしょうか。

日本の「サラリーマン」に相当するのは、「インピエガート(impiegato)」と呼ばれる人々です。しかし日本のサラリーマンほど一般的ではありません。イタリアの労働者層を主に構成するのは、「ブルーカラー」「公的機関の役人」「(自営業者なども含む)職人」の3種類です。

インピエガートにとっても、バールはとても大切な場所です。

彼らは主に都会に住んでいて、1つか2つの会社でキャリアを重ねた後、だいたい65歳くらいで仕事生活に別れを告げます(その年齢まで働く権利は労働組合によって守られている)。その後、バールで人生を謳歌する点に関しては、他のシニアと何も変わりません。

実はごく平均的なイタリアの勤め人が、バールに通いはじめるのは、定年後からではありません。就職直後から、彼らはバールを通じた人間関係とネットワークをつくり始めます。

朝の通勤前には必ず、お気に入りのバールに立ち寄る。そこでエスプレッソコーヒーを飲んでクロワッサンを食べ、仕事仲間や通勤仲間(同じ電車やバスに乗る人たち)と話をする。仕事の休憩時間には、イタリア語で「パウザ・カッフェー(Pausa caffè)」(コーヒーブレイクの意味)と呼ばれる、会社のそばにあるバールでコーヒーを飲みながら同僚と一息つく。仕事帰りもバールに寄り、エスプレッソか食前酒を飲みながら、一日の出来事を仲間と話す。

このように、バールとの付き合いは、就職してから退職後まで、ずっと続くのです。重要なのはおいしいエスプレッソではなく、一生続く人間関係を築き育てること。バールは、リタイア前もリタイア後も、社交生活を担保しているのです。

最近の統計によれば、そんなイタリアですら、シニアの5人に1人は孤独だというデータがあります。孤独によって、うつ症状を呈するシニアは、全体の10%もいるといいます。特に人間関係を保持しにくい都会で、その傾向が見られるようです。都会においては、以前のようにはバールが機能しなくなっているのかも知れません。

大切なのは、勤務時代の(バールでの)コミュニケーションの量や質を高めることです。それによって、都会生活においても持続可能な、リタイア後の社交生活基盤をつくることができます。そうした努力が、おそらく都市部のインピエガートには必要になってきているようです。

シニア世代の孤独問題は、イタリアだけの問題ではなく、先進国共通の悩みでもあります。日本のサラリーマンの皆さんの、参考となれば幸いです。

vol.2 完

vol.1はこちら

Erika Rossi(エリカ ロッシ)
イタリア出身。イタリアと日本の大学で、東洋文化及び中南米文化などを専攻
ペルー、アルゼンチン、
チリなどの中南米諸国、ロシア、フランス、アメリカなど、世界各国での留学や仕事経験を持つ。ヨーロッパ言語をはじめとした6か国語以上を話すマルチリンガル。人材教育会社の株式会社GREENではシニア・ファシリテーターとして、大人気講座「リベラル・アーツワークショップ」などを担当している。
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