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生活
2018年07月01日

ブーム到来?定年後に役立つ「リベラルアーツ入門」

ブーム到来?定年後に役立つ「リベラルアーツ入門」 2018.07.01学ぶ・教える


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「リベラルアーツがブームだ」みたいな話を、おそらくは皆さんも一度は耳にしたことがあるでしょう。本はいろいろ出ているし、ネットで検索すれば、おびただしい数の大学が「当大学はリベラルアーツ教育に力を入れています!」とアピールしているので、何かしらのトレンドがあることは確かなようです。そこで、由来や意味合いを探究しつつ、50代以降の人生後半にそれを学ぶことの意義や、具体的に何を学べばいいのかについて、駆け足で考察してみます。

リベラルアーツの意味と由来

「リベラルアーツの意味は、大辞泉(3版)にこうに書いてあります。

1.職業や専門に直接結びつかない教養。また、そのための普通教育

2.大学における一般教養。教養課程」

大学の一般教養なんて大昔からあるのに、なぜ今注目されているのでしょう。東京大学のサイトにはこのように説明がなされていたので、引用します。

“リベラルアーツというのは本来、単なる一般教養の同義語ではない。これは古代ギリシャにまでさかのぼる概念で、人間が奴隷ではない自立した存在であるために必要とされる学問を意味していた。中世ヨーロッパにおいては、人が自由(リベラル)であるために学ぶべきもろもろの技芸(アーツ)を指し、具体的には文法、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽の「自由七科」がその内容とされていた。(中略)人間を種々の拘束や強制から解き放って自由にするための知識や技能を指す言葉だったのである(石井洋二郎「グローバル時代のリベラルアーツ」、教養学部報・第561号)”

古代ギリシ・・・そこまでさかのぼる深い言葉だったようです。しかし「人が自由であるために学ぶべきもろもろの技芸」とか「拘束や強制から解き放って自由にする」というのは、いったどういうことでしょうか。

リベラルアーツの本質とは?

おそらくここでいう「自由」とは、純粋に精神的・知的な意味での「自由」なのでしょう。

私たちは自由に考えているようでいて、実に多くのことにとらわれ、偏った思考しかできなくなっています。日々を会社で過ごしていれば、「上司に反論してはいけない」とか「お客さまは神様だ」といったことを日常的にたたきこまれ、いつしかそれを自明のことのように思い出します。

こうした「とらわれ」は環境適応の結果であり、やむを得ない面もあります。しかし、それに過剰適応し思考の柔軟さを失えば逆に危険です。新しい環境に適応できず、自分を窮地に追いやりかねないからです。ましてや、現在の科学技術の進化を考えれば、一つの考えに凝り固まることは、相当にリスキーなことなのです。

「自由である」「自由にする」とは、おそらくは自分が「とらわれているもの」が何かを知り、それにとらわれずに考えられるようになることを指します。リベラルアーツとは、そのための学びの体系のようなものだと考えると分かりやすいのではないでしょうか。

人生後半でリベラルアーツを学ぶことの意義

リベラルアーツは、できるだけ若い頃、社会に出る前に学んでおくことが望ましいでしょう。社会では専門性がないと生活することが難しいですが、専門性こそ「とらわれ」をつくる元凶となる可能性が高いからです(だからこそ東京大学などでは、最初に教養課程で過ごしその後で専門課程に進むという方式をとっています)。

では年をとってからリベラルアーツを学ぶことに意味がないかといえば、もちろんそんなことはありません。「とらわれ」の外に出ていくことで、肩の荷が下りて楽になったり人生が楽しくなったりすることがあるからです。

もしあなたが長い間会社生活を続けてきた人で、これから定年を迎える(ないしはもう迎えた)という立場なら、リベラルアーツをぜひ学んでみてはいかがでしょうか。次なる人生の、「思考の自由」「行動の自由」を手に入れるためには好適だと思われます。

リベラルアーツを学ぶ前に知っておきたい「とらわれ」から自由になる方法

「とらわれ」から自由になるための方法は、大きく分けて2つあると考えます。

1つ目は「多様なものを知ること」。

日本社会の特殊性は、日本しか知らないと分かりません。しかし、さまざまな社会(欧米とかアジアとか)を勉強し多様なものの存在を知れば、一つのものを絶対視することから自由になれるでしょう。

2つ目は「普遍的なものを知ること」。

「個別に見ていけば、確かに表面的な差異はある。しかし、その本質は変わらない」ということが、世の中にはよくあります。この「本質」を知ることが「普遍的なものを知る」ということです。普遍を知れば、表面的な差異を気にする「とらわれの心」から自由になれることでしょう。

何を学ぶかよりも、どう進化させるかが大切

具体的に何を学べばよいのか分からないという方に、少しヒントをお話しします。

例えば「文化人類学」や「比較社会学」はどうでしょう。どこの国の人であれ、親や子どもを想う気持ちは変わりません。それをきちんと認識するだけで、仲の悪い国の人を憎むという「とらわれ」から、私たちは自由になれるのではないでしょうか。多様な社会や文化を題材にしつつ、その向こうにある「人や社会の本質的な部分」に迫ろうとする学問なのです。

古典文学や世界の文学を読むのもいいでしょう。描かれている世界は、時の彼方か海の彼方なので、その世界に触れることは多様な世界に触れることとなります。一方、そこに描かれている人間は、おそらく私たちがよく知っている人間であり、私たちはそこで、「人間の普遍」に触れることになります。多様と普遍の双方に出会える貴重な体験といえるでしょう。

しかし大切なのは、単にそれらを「知識」として吸収することではありません。そう考える人が多かったことが、「リベラルアーツ=一般教養」という誤解を生んだのではないでしょうか。世界に触れ、自分自身の「とらわれ」を知り、より自由に考えられる自分へと進化させていくこと。それが一番大切なのです。

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