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健康
2019年02月15日

仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフvol.11

プレイボーイグループの編集部勤務から
出版プロデューサーほかスラッシュに活躍する久本勢津子氏 Part3

仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフvol.112019.02.15働く


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外部の独立編集者として雑誌に携わる仕事が展開する形で、紙媒体での広告の仕事も順調に増えていった。著名な書き手を知っている強みから、その広告にはどんな作家に登場していただいたら良いのかといったアイディアがあり、実際にキャスティング交渉もできたことが新たな仕事の展開に繋がったのだ。雑誌に載る人はいわば時流に乗った人でもあり、そのまま広告において発信役を担っていただくことは、自然かつ強力な流れともいえる。

次第に、文学界で活躍する文化人たちを広告で発信役として据える役回りが定着し、広告代理店からは「久本さんに頼めば、素晴らしい文化人をキャスティングしてコンテンツ企画もしてくれる」と言われるようになっていった。その仕事は、高島屋のイベント、キリンビールのさまざまな新商品に関するイベントと紙媒体、サッポロビールのネット広告、ワコールのPR誌も一冊請け負っていた。

紙面や誌面づくりだけでなく、プロモーションイベントのプロデュースも任されることが多かった。また、メキシコ政府観光局からの依頼で、ハリスコ州の宣伝のために蜷川実花氏に撮影を依頼し写真集を作った。版元は講談社、被写体は南国のイメージで小池栄子氏にお願いし、日本からは総勢10名を連れてメキシコで撮影した。

(写真:写真集『小池栄子 PARAISO』撮影/蜷川実花(講談社)より)

雑誌コンテンツの請負いから、広告制作、イベントプロデュースの仕事にまで発展できたきっかけはどこにあったのだろうか。一言で表せば「ご縁と人脈を大切にしてきた」ということになる。ホームパーティを含む人の集まりにはマメに顔を出し、お世話になった方にはお礼状を欠かさず、大学生が相手でも自分の企画したイベントに参加者にはお礼を出していた。

振り返るとご縁を大切にしたいという想いは学生時代の読モの頃からだ。自分を撮影してくれた写真家には翌週、手土産を持ってお礼を言いに行ったし、編集部にも時々顔を出していた。彼らも一学生の情報を面白がってくれた。元々シャイな性格だが、興味深い人、刺激的な人への好奇心の方が勝り、かつ自分をドキドキさせてくれる人々と仕事をしたいと思う気持ちが強かった。できたご縁を大切にする鍵は、付き合いはあくまでも「淡交」でということ。互いに立ち入らないことを旨とし、距離感を大切にする。特に、ある女性の著者の言葉「女友達は、見ない、聞かない、言わない」が心に残っている。「見ても見なかった、聞いても聞かなかったことにしてくれ、秘密は人に言わない」女友達は貴重で本物という意味だ。

そのような意識と行動が現在の仕事に脈々と繋がっている。仕事は増えた一方で雑誌業界のピークはミレニアムを過ぎてほどなく打たれることになる。リーマンショックと3・11を経て、仕事の環境も自分の意識も大きく変わっていった。

Part4につづく

(文 槇 徳子)

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