仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフvol.11
プレイボーイグループの編集部勤務から
出版プロデューサーほかスラッシュに活躍する久本勢津子氏 Part3
仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフvol.112019.02.15働く
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外部の独立編集者として雑誌に携わる仕事が展開する形で、紙媒体での広告の仕事も順調に増えていった。著名な書き手を知っている強みから、その広告にはどんな作家に登場していただいたら良いのかといったアイディアがあり、実際にキャスティング交渉もできたことが新たな仕事の展開に繋がったのだ。雑誌に載る人はいわば時流に乗った人でもあり、そのまま広告において発信役を担っていただくことは、自然かつ強力な流れともいえる。
次第に、文学界で活躍する文化人たちを広告で発信役として据える役回りが定着し、広告代理店からは「久本さんに頼めば、素晴らしい文化人をキャスティングしてコンテンツ企画もしてくれる」と言われるようになっていった。その仕事は、高島屋のイベント、キリンビールのさまざまな新商品に関するイベントと紙媒体、サッポロビールのネット広告、ワコールのPR誌も一冊請け負っていた。
雑誌コンテンツの請負いから、広告制作、イベントプロデュースの仕事にまで発展できたきっかけはどこにあったのだろうか。一言で表せば「ご縁と人脈を大切にしてきた」ということになる。ホームパーティを含む人の集まりにはマメに顔を出し、お世話になった方にはお礼状を欠かさず、大学生が相手でも自分の企画したイベントに参加者にはお礼を出していた。
そのような意識と行動が現在の仕事に脈々と繋がっている。仕事は増えた一方で雑誌業界のピークはミレニアムを過ぎてほどなく打たれることになる。リーマンショックと3・11を経て、仕事の環境も自分の意識も大きく変わっていった。
Part4につづく
(文 槇 徳子)