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仕事
2019年01月11日

長谷部真奈見の1000分の1と共に vol.2

長谷部真奈見の1000分の1と共に vol.22019.01.11働く


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「私のアナウンサー人生は9・11から始まった」Part2

元外資系投資銀行のバンカーで、現在はアナウンサー、ヨガインストラクター、ファイナンシャルプランナー、会社経営者、NPO法人理事、妻、障がいのある子どもの母など、いくつもの顔を持つ長谷部真奈見さんによる連載。

“Evacuation(避難)!”ウォール街にサイレンが鳴り響き、辺りは瞬く間に真っ黒な煙に飲み込まれてしまいました。テレビはもちろん、ラジオもインターネットも機能しないという、こんな経験は初めてでした。一切の情報が入ってこない中、誰もが恐怖に怯えていました。2001年9月11日、恐ろしく緊迫した、極めて非現実的な状況において、人々は口々に“World War III“と叫び、「戦争」という言葉が飛び交っていました。覚悟を決めた私は、こんな時に本来なら側に居たかった日本の両親に、これまでの感謝の気持ちを伝えなければと電話をしました。すると、思いがけず、この電話を通してリアルタイムで日本のニュース番組で報道されていた内容を知ることになったのです。「これは戦争ではない。テロだ」と。「とりあえず、ここから逃げよう!」そう思った私は、やっとの思いで避難していた建物から再び外に出て、必死に煙の中を歩きました。

運良く、救助ボートに乗せてもらうことができたのですが、その時、だんだん離れていくNYマンハッタン島をボートから眺めながら、情報の大切さを噛み締めました。人々を混乱にも安心にも導く可能性のある報道、事実とジャーナリズムについて初めて強く意識した瞬間でした。私はニュースを受け取る側から、伝える側になりたいと思うようになったのです。NYでの研修を中断し帰国した私は「とりあえずやってみよう」の精神で転職を決意。翌年から、放送局でアナウンサーとして働き始めることになりました。全く違う、新しいキャリアのスタートでした。新卒で入社した第一志望の会社を一年で退職、憧れの職業を手離してしまったのです。ちなみにお給料は半分以下に・・・、ランチに使えるお金も半分以下になりました(笑)。もちろん自分で選んだ道に、迷いはありませんでした。

次回は、この連載のタイトル「1000分の1と共に」にかける私の思いを書きたいと思います。

vol.3へ続く

(文 長谷部 真奈見)

長谷部 真奈見 プロフィール
1978年生まれ。広島大学附属福山中・高等学校在籍中に、米オレゴン州Eagle Point High Schoolに留学
慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、JPモルガン・チェース入社、投資銀行業務に携わるも、本社のあるNYにて研修中に9.11世界同時多発テロ事件に遭遇、一転ジャーナリズムの道を目指し福井放送に入社
報道番組の記者兼キャスターを務め、現在はフリーアナウンサーとして活動中

(株)Studio7(スタジオナナ)代表取締役
ヨガインストラクター、ファイナンシャルプランナー、コメンテーターなど多方面で活躍する傍ら、NPO法人の理事としてボランティア活動や、障がいのある子育てについても積極的に発信を続けている

著書「絵本ヨガ 森のくるるん」(そうえん社)

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