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仕事
2018年12月20日

仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフvol.5

外資系企業での輝かしいキャリアから一変。
リストラを機に新たな自分を発掘、発信し続ける勝屋 久さん55才 Part1

仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフvol.52018.12.20働く


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「良い大学を出て、良い企業であわよくば一生安泰に勤めることが何よりも幸せ」という価値観を、社会や親から何の疑問も持たずに植えつけられ、その期待に応えるべく新卒で日本IBMへ入社し、30代まで実績とキャリアを積んできた勝屋久さん。

血気盛んな20~30代の頃には直属の上司とぶつかるほど、自分の仕事に信念もビジョンも持っていたつもりでした。しかし、上長と決定的な軋轢ができてしまった30代前半、想定していたような出世のパスがなくなってしまっていることに後々気付くことになります。

1999年に「Netgen Task」という社内プロジェクトのリーダーを任され、スタートアップ企業の経営者やVCに接する機会から、ビジネスの楽しさやスピード感を体感していきました。 折しもミレニアム前後「IT起業」は世界的なムーヴメントでした。そして2000年にIBM本社のオープンイノベーション戦略として「IBM Venture Capital Group」が生まれ、その日本代表に就任したのです。その後、数千名の起業家やVCと会う機会に恵まれます。自然と起業家やビジネスを見る眼が養われ、自身の生まれ持った才能である「人と人をつなげること」が役立ち、若い起業家たちを成功に導くことに生き甲斐を感じていきました。

2000年代初頭には米国のITバブルが崩壊し、景気が急速に後退し、これまでスタートアップ企業を応援してきた名だたる日本の大手企業がVC事業から手を引く中、自分だけは志を持った起業家たちを見捨てることはしたくありませんでした。そして、その想いに応えてくれるように不思議と集まってくる目を輝かせた起業家志望の若者たちに自分も鼓舞される日々を送りました。

2006年には、仲間と共に創った完全招待制スタートアップコミュニュティ「Venture BEAT Project」で交流イベント等の活動が日経産業新聞でも写真入りで大きく取り上げられ、日本におけるスタートアップ業界で自分の存在と影響力が確固たるものになってきました。そのころには社内の王道の出世コースを意識することもほとんどなくなっていました。社内よりスタートアップコミュニュティで人を繋げるなど、自分が出来る事で、好きな起業家や投資家のお役に立つということが、自分のミッションとして心の中でフォーカスされていきました。

社外でのこうした活動は社内の一部の力のある人たちに認められ、ほとんど会社へ行かず、社外で自由に活動をしていました。

しかしそれから数年後の2010年3月、華々しい活動は突然終止符を打たれます。突然の上司からの面談要請でした。嫌な予感は的中し、「リストラ」この言葉が自分に降りかかってくるとは、まさに青天の霹靂でした。

Part2・・・に続きます

(文 槇 徳子)

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