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生活
2018年12月10日

シニア海外ボランティアへの参加 vol.2 -自走人インタビュー:島田明夫さん-

シニア海外ボランティアへの参加 vol.22018.12.10先輩に聞きました


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シニア海外ボランティアへの参加 vol.2 -自走人インタビュー:島田明夫さん-

新連載企画『自走人インタビュー』、ご紹介させていただく「自走人」は、埼玉県にお住いの島田明夫さんです。島田さんは、定年を間近に控えた58歳の時、会社をお辞めになって「国際協力機構(JICA)が主催する「シニア海外ボランティア」に参加され、日本語教師としてご活躍されました。

9年の武者修行のあと68歳でJICAに採用!

Q:すごいキャリアですね。

Ans 中国で5年半、日本で1年半、タイで2年、その時僕は67歳で・・・。
JICAのシニアボランティアは69歳が応募のリミットで、68歳の時に最後のチャンスと思って応募して、ぎりぎりで採用されました。

Q:今回、行っていらしたチリはご自身で希望を出された任地だったんですか?

Ans JICAはいろいろな職種を募集していまして、その中で、僕は、日本語教育に応募したんですが、一次選考を通過して二次に進むときに、パラグアイ、チリ、パプアニューギニア、ベトナム、トルコ、セルビアの中から3つ希望を書いてくださいと言われて、僕は「パラグアイ、チリ、パプアニューギニア」を選びました。

Q:お話を伺っていると、何か強い使命感に背中を押されてJICAの国際ボランティアに応募されたわけではなさそうですね。

Ans はい、それは自分中心に考えました。僕がどうしたいのかを考えて、それが、最終的に社会の役に立つものであればいいのかなと考えています。
ただ、会社勤めをしていた時から、ボランティア活動そのものには興味があったんです。

Q:それはどのようなきっかけだったのでしょう?

Ans 会社勤めをしていた時、アメリカに3年ちょっと赴任したことがありました。アメリカ人というのは懐が深いところがあって、日常的にボランティア活動をするんです。それも楽しそうに活動するんです。そういう光景を見ていて、自分もボランティア活動をしてみようかな、という考えは持っていました。

Q:話を戻しますが、電撃的に会社を辞めて、少々スペイン語の勉強をしていた以外は特に準備はしてなかったんですよね。

Ans 一回滑ってますからね。最終目標をJICAに置いて、動き回った結果が出たんだと思います。
あと、準備といえば、JICAって健康診断がすごく厳しいんですよ!どんなにキャリアが立派でも健康で撥ねられてしまう人が多くて・・・僕の場合は、すごく悪かったわけでではないんだけど、血圧やら悪玉コレステロールがちょっと高かったんです。だから、毎日、ウォーキングやストレッチを毎日50分程度ですが続けていました。

Q:キャリアの話をされる方が多いですが、健康の話はとても新鮮に感じます。

Ans 海外に送り出した人が現地で病気になったりしたら、大変ですからね、JICAはすごく厳しいんです。

家族と離れて単身地球の裏側へ

Q:チリに赴任している間、ご家族は?

Ans eメールで連絡を取りました。スカイプもありましたがほとんど話はしなかったですね。

Q:寂しくなかったですか?

Ans 僕は僕で現地での活動で忙しかったし、女房は女房で地域の活動やら、家のことやらで忙しかったみたいだし、今日もいないですけど(笑)

Q:定年後に悩まれる方が多いご家族との距離間の問題なんですけど、2年もの間、地球の裏と表にいて連絡取らなくても、良好な関係を保ったままでいられるなんて素晴らしいですね。

Ans お互いの時間を大切に出来たんだと思います。会社勤めをしている時は、ぼくは一生懸命やってるつもりだったんですけど、女房はそうは思ってなかったみたいなんですよ。仕事をして家計を支えていることは理解してくれていたみたいなんですけど・・・「あなたは、家のことは何もやらない」「子供が病気になっても知らん顔」すごく険悪な時期もありました。あまりにも会社一辺倒で「あなたは生活人じゃない」って言われたこともありました。

Q:重たい言葉です・・・。

Ans 会社べったりで、家族じゃなかったんですよね、それ言われたら、その通りなんですよ・・・できれば、家庭のこともちゃんとやりたかったですけど、なかなかそこまでいけませんでした。

Q:会社をお辞めになって変わったことを少し教えてください。

Ans 会社を辞めた直後は、お互いぽつんとしてましたが、どこで変わったかといえば、三人いる娘の中で一番上の子が結婚するって知らせてきたんです。メールで。

僕が、中国にいるころでした。スリランカの人だっていうので、父親として、「お前たちの気持ちはわかるけど、スリランカの人が日本で仕事を探して暮らしていくのは、今の日本の社会では難しいぞ」って正直な気持ちを書いたんです。そしたら、女房は「いいんじゃないの」って言うんですよ。そしたら、どうしたことか、反対して娘と女房と対立するより、認め合って今後みんなで楽しい人生が送れればいいんじゃないかっていう考えが素直に心の奥から出てきて、複雑に考えていたことが単純な結論に落ち着いたんです。

その後も、家族のことで真剣に話をして、ちゃんと家族のことを考えるようになった・・・そしたら何か変わってきたんです。

Q:2年間、奥様とご家族の顔を全く見なかったんですか?

Ans シニアの場合、現地に一回家族を呼び寄せることができるんです。あと、1年経ったあと健康診断のとき日本に帰れるんです。

Q:ご家族は来られましたか?

Ans 女房が一人で来ました、サンチアゴにも来たんですが。北部のサンペドロ・デ・アタカマという街まで二人で行きました(この話をしている島田さんは、とても楽しそうでした)。そこはチリのアタカマ砂漠の中の街で……砂漠って言っても砂丘がどこまでも続く砂漠ではなくて、乾燥した赤土と岩がゴロゴロした乾燥地帯で標高が5,000mにもなるところもあるんです。そこには、世界中の天文台が集まってるんです。ちょっと血圧の高い僕はそこまで行けなかったですが・・・楽しかったです。

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島田明夫さん
1946年生まれ。高知県高知市出身。
1971年早稲田大学卒業後複写機メーカーに就職。2004年58歳で早期退職し日本語教師の道に進む。日本語教師養成講座を終了後、中国で5年半、日本で1年半、タイで2年日本語教師としての経験を積み2015年4月にJICAシニア海外ボランティアに応募。2016年1月から2年間チリ共和国の首都サンティアゴの「チリ中央日本人会」で日系人とチリ人に日本語を教える。2018年1月に帰国。

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