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2018年10月23日

平均寿命50歳時代に60歳で天下統一した徳川家康の経営術 vol.1

平均寿命50歳時代に60歳で天下統一した徳川家康の経営術 vol.1 2018.10.23学ぶ・教える


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岡田さんは過去の歴史と現代を照らし合わせて様々な考察をされています。2018年現在 、日本の平均寿命は女性が87.26歳、男性が81.09歳と、いずれも過去最高を更新し、日本は世界でいち早く人生100年時代を迎えます。国連によれば、2050年までに日本の100歳以上の人口は100万人を超える推計も出ています。

400年前、日本は人生50年

今から400年前、江戸時代の平均寿命は100歳の半分の50歳でした。今の言葉で置き換えるなら、「人生50年」短距離走の人生だったと言えます。多くの人たちは50歳人生を過ごしたことでしょう。

ただ、江戸時代を治めた徳川家康は長生きをしています。家康は1543年1月31日生まれ、他界したのは1616年6月1日、73歳でその生涯を終えたとされています。家康が征夷大将軍に任ぜられたのは1603年。つまり、天下をとったのは60歳の時でした。平均寿命よりも10歳も上です。家康は、幼い頃から人質生活を送るなど苦労して育ち、我慢に我慢を重ねてきました。そして、ようやく60歳で天下統一を成し遂げたのです。そのように苦労して天下をとっただけに、徳川の血筋が絶えないようにと様々な手を打ち、その経営手腕は徹底していました。

家康の経営手腕「御三家」が将軍家維持の秘策

徳川家の血筋を守るために特別な戦略はあったのでしょうか?

実は、家康が徳川家の血筋を守り、将軍家を維持するために作ったのが「御三家」です。家康は自身が征夷大将軍になったわずか2年後に、将軍職を息子の秀忠に譲っています。ですが、秀忠の息子(のちの3代将軍・家光)は生まれたばかり。もし秀忠の血筋が途絶えてしまうようでは、その隙に他の大名が天下の座を狙ってくるかもしれません。そこで、家康は9男の義直、10男・頼宣、11男・頼房にも徳川の姓を与え、仮に秀忠の子孫が途絶えたとしても、この3人の子孫のうちからも将軍を継がせることができるようにしたのです。

そして、この3人が「御三家」として語り継がれる尾張、紀州、水戸の藩祖となりました。この家康の戦略は、約100年後の1716年に効果を発揮します。7代将軍・家継が6歳で死去した際、徳川本家には跡継ぎがいませんでした。そうしたなか、御三家のうち紀州藩主だった徳川吉宗が8代将軍となったのです。当時は、次の将軍の座を意識して、紀州藩と尾張藩が争っていたとされていますが、最終的には、徳川将軍家を継続するために8代将軍・吉宗の誕生は、皆が受け入れざるを得ませんでした。

もし、家康の「御三家」戦略がなかったら、この時に大きな争いが起こり、徳川将軍家の時代は終わっていたかもしれません。

次回は「大名による謀反への対策」は…に続きます

岡田晃プロフィール
1971年慶應義塾大学経済学部卒業。同年、日本経済新聞入社。
記者、編集委員を経て、テレビ東京経済部長、テレビ東京アメリカ社長、理事・解説委員長などを歴任。「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など経済番組のコメンテーターやプロデューサーをつとめた。
2006年テレビ東京退職、大阪経済大学客員教授に就任、経済評論家として活動開始(現在に至る)。
著書は「やさしい経済ニュースの読み方」(三笠書房)など。
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