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2019年01月17日

長谷部真奈見の1000分の1と共に vol.3

長谷部真奈見の1000分の1と共に vol.32019.01.17働く


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「私のアナウンサー人生は9・11から始まった」Part3
絶望から希望へ 30歳からの人生やり直し-1

元外資系投資銀行のバンカーで、現在はアナウンサー、ヨガインストラクター、ファイナンシャルプランナー、会社経営者、NPO法人理事、妻、障がいのある子どもの母など、いくつもの顔を持つ長谷部真奈見さんによる連載。

“1000分の1”と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか?パーセンテージにすると0.1%。これは、出産年齢30歳未満でダウン症候群のある子どもが生まれる確率です。9年前、生後まもなく心臓や肺などに深刻な問題が見つかり、NICU(新生児集中治療室)へ緊急搬送された娘も今やすっかり大きくなり元気に小学校に通っています。娘を授かったお陰でとても人生が楽しくなってきました。

ただ、出産当時は医師から突然、我が子にダウン症候群があると告げられ、予期せぬ現実を受け入れることは容易でなく、やっと我が子に会えたというのに、どうしてこんなにも涙を流さなくてはならないのか、なぜ自分がこんなに辛い思いをしなければいけないのか、何もしたくない、誰にも会いたくない、もう私の人生これで終わった、そう思いました。

障がいのある子を育てていく自信もなく、これから訪れる現実がただ怖くて、どうやったら逃げられるか、そればかり考えていました。海外でひっそりと暮らそうか、いっそ当時住んでいたマンションの9階から飛び降りようかと考えたことまでありました。今思えば、無知からくる恐怖がほとんどでした。当時、私は娘の障がいについてほとんど何も知らなかったのです。

一般にダウン症のある人は、知的・身体的発達に遅れが出ると言われ、医師や看護師、保健師、学校の先生などから「ゆっくり育てなさい。他の子より10倍くらい時間がかかるかもしれませんが、必ず成長しますから」と言われるのが通常です。“せっかち”な私はそう言われて「はい、そうですか」と、ただじっと待っているわけにもいかず、「それなら逆算して何でも早めに教え始めなければ!」と、むしろ焦ったくらいです(苦笑)

2歳になっても、まだ一人で歩くことが難しかった娘に、何か出来ることはないかと色々検討してみた結果、海外で障がいのある子にセラピーとして取り入れられていたヨガを娘と一緒にやってみようと思いました。これが、現在、私が代表を務めている株式会社Studio7(スタジオナナ)設立のきっかけになり、そして後にアナウンサー復帰へと繋がることになったのです。

次回は、この連載のタイトル「1000分の1と共に」にかける私の思いを書きたいと思います。

vol.4へ続く

(文 長谷部 真奈見)

長谷部 真奈見 プロフィール
1978年生まれ。広島大学附属福山中・高等学校在籍中に、米オレゴン州Eagle Point High Schoolに留学
慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、JPモルガン・チェース入社、投資銀行業務に携わるも、本社のあるNYにて研修中に9.11世界同時多発テロ事件に遭遇、一転ジャーナリズムの道を目指し福井放送に入社
報道番組の記者兼キャスターを務め、現在はフリーアナウンサーとして活動中

(株)Studio7(スタジオナナ)代表取締役
ヨガインストラクター、ファイナンシャルプランナー、コメンテーターなど多方面で活躍する傍ら、NPO法人の理事としてボランティア活動や、障がいのある子育てについても積極的に発信を続けている

著書「絵本ヨガ 森のくるるん」(そうえん社)

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